次の時代を、先に生きる。
次の時代を、先に生きる。/髙坂勝
評価:★★★★☆
日本の経済成長率を上げていくためにイノベーションを起こさないといけないだなんだとか政治家や経営者が叫んでいる。商品をより多く売るため経営戦略やマーケティング論などが日々模索されている。まるで成長以外に日本が生き残る道がないとでもいうように…。成長しなければいけないと私達は日々成長することに追われているが、果たして成長とは何なのか、必要なのかを一度立ち止まって考えてみる必要がある。
経済成長って
経済成長とは前年度より多くモノを作り、多く売ることで達成される。だから経済成長率を毎年上げていくということは、より大量生産・大量消費を促す必要がある。でもこれって今の時代不可能ではないだろうか。
もうモノが売れない理由
モノはもうそんなに売れない。だってそんなに毎年車って買う必要ある?家電買う必要ある?必要ないでしょ。日用品は定期的に買わないといけないけど。人々はもう必要なモノはたいてい持っている。そりゃ昔は持っていないモノが多かったから作れば作っただけ売れたと思う。でも今の時代もうすでに皆持っているんだから買ってくれない。では持っていない人はもう存在しないのか、いや存在する。それは新しく生まれてくる人たちと海外の人々である。でもこの人達にも買わせることはあまり期待できない。
日本は少子高齢化で今後どんどん人口が減っていくのは明確だ。つまり買う人がどんどん減っていくといことだ。毎年生まれる子供は年々減っていく。なのに前年より多く売れって無理じゃない?また海外の人々に売るにはグローバル化の中で激しい競争に勝たないといけない。今や中国や東南アジアは日本製に比べて安い値段で売り出している。海外の持っていないものが多い人は、おそらく先進国の人たちに比べてお金に余裕がないから買われるのは安い製品だろう。じゃあ日本製品も利益を減らしてコストダウンをしないといけないけど、単価が下がるのに毎年売上を増やすってまぁ無理じゃない?それに海外の人達も大体なんでも持ってる状態になったもう打つ手なしだろう。
モノが売れなくなったらどうすればいい
モノが売れなくなるのは企業の努力が足りないとか、イノベーションを起こす企業が育っていないとか、各企業・従業員の頑張りで何度かなるものじゃない。もう世界的にモノが売れない仕組みになっているのである。つまり経済成長の限界はもう見えているのだ。じゃあどうすれば良いのか。大量生産・大量消費をやめて、作らない・消費しない方向にシフトしていくしかない。
経済成長を追い求める弊害
出来もしない経済成長を追い求める弊害は人々にも降りかかる。世の中の仕組みによって経済成長は無理なのに、会社は利益を前年よりも上げることを従業員に要求する。無理難題を押し付けられているのだから、まともなやり方では達成できない。長時間労働であったり、望まない商品を無理やり顧客に売りつける必要があるだろう。最終的には従業員の努力も虚しく人件費ダウンによって給料を下げられるだろう。だから経済成長を求め続けることは人々を不幸にしていく。
自分に必要な最低限のお金を稼ごう
成長経済は前年よりも多く利益を出すことで成長していく。経済成長が必要必要と言われているが経済成長をしないと死んでしまうというわけじゃない。今の状態でも日本の多くの人はすでに必要なモノを持っているから新たに何かを買うモノはそれほどない。必要ではないものを買ってしまうからより多く稼がないといけなくなる。私たちが生きていく上で本当に必要なお金は新たに何かを買うことをしなければそれほど必要ないはずである。だから消費量を減らそう。足るを知るのだ。本当に必要なものを手に入れるだけのお金を稼ごう。これは個人だけじゃなく企業も考えないといけない。社員が暮らしていけるだけの給料分だけ利益をあげよう。ただひたすらに多く稼ぐことが良いという価値観を考え直そう。利益拡大は破滅につながる。
独り言(全部独り言だけど…)
やっぱ経済成長って限界があるよな。利益を上げ続けるために無茶な働き方をしなくちゃいけなるなるし。よく分からん経済成長とかいうもんのために自分を犠牲にしないといけないし。この本で書かれていたナリワイも資本論でいう自分の労働力を売るんじゃなくて自分の商品を持てってことだよな。やっぱ資本主義は格差を生むし、多くの人を不幸にするしどこかでテコ入れが必要だと思う。いつかの未来ではお金が第一じゃない世界になるのだろうか。
ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと
ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと/奥野克己
評価:★★★★☆
プナンというボルネオ島(マレーシア、インドネシア、ブルネイの三国からなる)に住む民族がいる。このプナンは今は世界中から消滅してしまったかのように思える狩猟に現在でも行って生活している民族である。
今私達の住む世界の多くが資本主義に支配されている。私は資本主義以外の世界を知らない。これはあたり前のことだろう。生まれる前から日本は資本主義国家だったし、今や資本主義じゃない世界のほうがかなりの少数派である。数回しか海外に行ったことのない私が資本主義じゃない世界を知る機会なんてなかった。だからこそ私は知らない内に資本主義の常識が全世界の、全人類の常識だと思いこんでいた。しかし世界には資本主義ではない場所がまだ存在する。そんな場所の常識を知って初めて自分が生きる資本主義の常識を相対化して、考える対象にできる。この本を読んで今の自分が持つ常識が以下に特定の環境に依存したものか考えるきっかけとなった。
所有について
プナンと自分たちを比較して興味深かったとこが「所有」に対する考え方の違いである。今私達は自分で所有することは良いことだと思っている。家とか車とか高級時計とか。ものを所有するということはものを自分で独占できることだ。人に勝手に使われたり持っていかれることはない。そう、私達は何でも個人で所有したがる。独占欲が強いのだ。
しかし所有することは良いことばかりではない。個人で所有するということは「持っている人」と「持っていない人」に分けられる。持っている人は持っていない人を見て優越感に浸れるが、持っていない人は劣等感や嫉妬を抱くようになる。格差が生まれる。また所有するものは何も目に見えるものだけではない。責任やストレスも一人で抱え込まないといけなくなる。つまり精神的な辛さも一人で所有しなければなくなる。そりゃ生きにくいわけだ。
一方プナンでは個人が何かを所有するということはない。すべて周囲の人たちと共有するのである。それは物質的なものだけでなく精神面的なもの両方を共有する。だから持っている人と持っていない人に分けられることなく格差もない。また責任などもみんなで共有するから精神的辛さも分散される。個人で辛さを感じるのではなく、環境や仕組みで辛さを吸収しようと試みるのである。したがってプナンでは一般的に我々を苦しめているストレスが無いと言われている。
向上心について
私達は日々何か目標に向かって努力し、目標が達成できれば喜び、達成できなければ落ち込み反省する。私達の間では向上心のない人は怠惰というレッテルを貼られる。唯生きているだけ、他の動物と変わらないといったように。一方プナンでは目標も向上心もない。あるのは今を生きることだけ、食べ物を調達するということだけである。プナンには未来を考えることはない。だから私達が未来に対して感じるような不安もない
プナンと私たちどっちが良いのか
今まで述べてきた感じだとプナンが今の私達より優れているから、私達もプナンの生き方を取り入れよう、と言っているように感じるだろう。しかし私が言いたいのはどちらが優れているかということではなくて、違う世界が2つあるということである。違う世界について知ることができたのなら自分の世界と比べる事ができる。今の自分がいる世界を相対化できる。だから私達の世界の常識は自分たちからしたら揺るぎなく今後永遠に続いていくようなものに見えるけど、決してそうではなく特定の場所に存在しているたまたま成立しているものと考えることができる。そう考えることができれば今の世界を変えようと思えば決して不可能なことではないと考えることもできると思うんだ。だって今の世界はたまたま存在しているだけなのだから。
独り言
まぁ個人的には競争や格差がないプナンの世界に少し憧れがあるけど、今の便利な世界を知っちゃてるからきっと適応できないと思うな~。でも全てが自己責任になる世界はしんどいし、責任が分散できる仕組みがほしいなと強く思う。よく人類の進歩とかいうけどここ最近の進歩とかってほんとに進歩なのかなって疑問に思う。だって激しい競争社会で勝ち抜いた一部の人達だけが良い生活をして、負けた大多数の人は辛い生活を送るような社会ってほんとに進歩してる?むしろ退化じゃない?まぁ何をもって進歩と捉えるかによるけどさ、とりあえずお金を持っている人が偉いって価値観は個人的にすげー気に食わない。
妄想学級通信 第2号 何のために働くの?
今回は「何のために働くのか?」について書いていくよ!
みんなはまだ学生だから、働くって言われてもピンときていないかもしれないけど次の質問について考えてみてほしい。
大人のほとんどの人が働いているのはなぜだろう?
答えは…
もちろん生きていくために必要なお金を稼ぐためだよね。
働いてもお金がもらえないならきっと誰も働きはしない。
またお金がなくてもご飯とか住む場所とか手に入るんだとしても、わざわざ働いたりしないよね。
でも今の世界ではお金がないと生きていけないのは皆の経験からもわかることだよね。
じゃあお金は絶対に必要として、お金はどのくらいあればいいのだろう。
皆はどう思う?
そりゃがお金は多ければ多いほど良いに決まっていると思うよね。
でも本当にお金は多ければ多いほど良いのかな?
先生はここのところを、皆に一度立ち止まって考えてもらいたいんだ。
そこで一つお話を紹介しよう。
メキシコの海岸沿いの小さな村に、MBAをもつアメリカのコンサルタントが訪れた。
ある漁師の船を見ると活きのいい魚が獲れている。
コンサルタントは聞いた。
「いい魚ですね。漁にはどのくらいの時間かかるのですか?」
「そうだな、数時間ってとこだな。」
「まだ日は高いのに、こんなに早く帰ってどうするのですか?」
「妻とのんびりするよ。一緒にシエスタを楽しみ、午後にはギターを弾きながら子供と戯れ、夕暮れにはワインを傾けながら妻と会話を楽しみ、それで、寝ちまうよ。」
それを聞いてコンサルタントはさらに質問をした。
「なぜもう少し頑張って漁をしないのですか?」
漁師は聞き返した。「どうして?」と。
「もっと漁をすれば、もっと魚が釣れる。それを売れば、もっと多くの金が手に入り、大きな船が買える。そしたら人を雇って、もっと大きな利益がでる。」
「それで?」と漁師は聴く。
コンサルタントは答える。
「次は都市のレストランに直接納入しよう。さらに大きな利益がうまれる。そうしたら、この小さな村から出て、メキシコシティに行く。その後はニューヨークに行って、企業組織を運営すればいいんだよ。」
「そのあとはどうするんだ?」漁師はさらに聞いた。
コンサルタントは満面の笑みでこう答えた。「そこからが最高だ。企業をIPOさせて巨万の富を手に入れるんだ。」
「巨万の富か。それで、そのあとはどうするんだい?」と漁師は最後に質問した。
「そしたら悠々とリタイヤさ。小さな海辺の町に引っ越し、家族とのんびりシエスタを楽しみ、午後にはギターを弾きながら子供と戯れ、夕暮れにはワインを傾けながら妻と会話を楽しむ。のんびりした生活を送れるのさ。」漁師はため息をつき、やれやれ、という顔で一言を付け加えた。
「・・・・そんな生活なら、もう手に入れているじゃないか。」
この話では、旅行者が言う通り色々お金稼ぎのために頑張って働いても、結局元の生活に戻っただけだよね。
つまり、わざわざ今以上に働く必要なんてなかったってこと。
ただ、旅行者の考えが必ずしも悪いと言うわけでもないんだ。
この話の大事なことは
「自分は働いて何をしたいか、どうなりたいか」
について考えることだと先生は思う。
この話では、漁師はきっと家族や友人との時間を過ごすことが大事だと思っていて、
そのために働くのは最小限で良いと思っていると思うんだ。
反対に、旅行者は困難にチャレンジすることや会社を大きくして周りからすごいと思われることが大事だと考えているんじゃないかな。
どちらかが正解というわけじゃない。どちらも正解なんだ。
でも理解しておかないといけないことは、働くということは生きていくための「手段」に過ぎないってこと。
手段を道具に例えてみると、道具を使うことが目的じゃなくて道具を使って何をしたいか・どうなりたいかが重要だよね。
だから僕たちはまず自分が何をしたいか・どうなりたいか、つまり自分にとって大事なものが何なのかしっかり考えないといけない
以下の学級通信でも同じようなことを書いたね。
なぜ働くのかをよく考えず、ただお金は沢山あたったほうが良いと思い込んでがむしゃらに働いていると、本当に大切なものを知らない内に失っているかもれない。
こうはならないためにも自分にとって大切なものは何か考えてから、その大切なものを守るために働いてほしい。
何のために働くか意味について書かれたおすすめの本としては「モモ」がおすすめだから興味のある人は読んでみてね。
(というか先生の話はサーと流していいから、「モモ」をぜひ読んでほしい!)
以上
妄想学級通信 第1号 幸せって何だろう?
妄想学級通信 第1号
今年皆の担任になった堕落太郎です!
この学級通信では僕がみんなに伝えたいことを映画や本、漫画を題材にして紹介していきます。
映画や本、漫画は人生で大事なことを楽しみながら学ぶことができるので、ぜひみんなも興味がある作品を手にとってみてくださいね!
今回僕が紹介するのは…
「天使のくれた時間」です!
<あらすじ>
13年前、主人公のジャックは仕事で成功するためにロンドンへ行くことを決意する。そんなジャックに対し「行かないで」と引き留める恋人のケイト。しかしジャックはケイトを振り切ってロンドンに旅立った。
そして現在、ジャックは仕事で大成功を収め優雅な独身生活を謳歌していた。ジャックは全てにおいて仕事を優先し、仕事のために生きてきた。そんなジャックがある朝目を覚ますと、そこは自分が住んでいた高層ビルでなく、庶民的な一軒家だった。そこでは自分はかつての恋人ケイトと結婚し、二人の子供を授かっていた。つまり、13年前ロンドンに行かず、ケイトと生きることを選んだ世界線に移動してしまったのである。
最初はこの世界の自分は不幸だと思っていたが、家族と何気ない日々過ごす内にジャックの心情は変化していく…
この映画が伝えようとしていることはズバリ・・・
「幸せって何?」ってことです。
みんなは幸せって何だと思いますか?
高級車に乗ることでしょうか?豪華な家に住むことでしょうか?欲しいものは何でも手に入るくらいお金持ちになることでしょうか?
確かに自分がの欲しい物を買ったときは嬉しい気持ちになります。他の人が持っていないものを手に入れたときは優越感に浸る事ができます。
お金さえあればきっと幸せに暮らせると思う人が世の中には大勢いるでしょう。
主人公ジャックも仕事で成功し、大金持ちになって生活には何一つ不自由していません。そして世間の人からはすごい人と思われています。
やっぱり「お金持ちになる=幸せ」なのでしょうか?
かつて別れたはずのケイトと結婚した世界で、ジャックは元の世界の自分と比べ、質素で刺激のない生活を送っている自分は不幸だと思っていました。
ところが、妻や子供との何気ないが愛情あふれる日常を過ごす内に「こんな生活も悪くないな」と思うようになっていきます。
最終的にジャックはかつての仕事で成功した自分でなく、大切な人に囲まれた今の自分のままでいたいと思うようになりました。
そう、ジャックはお金持ちになることだけが幸せになる唯一の方法でなく、他にも幸せになる方法はあるのだと気づいたのでした。
そんなジャックでしたが、家族との別れは突然訪れます。
ある朝ジャックが目を覚ますとそこは、元の世界だったのです。
再びお金持ちなったジャックですが、彼はもう元のジャックとは違います。
家族と過ごすことに幸せを感じ、お金だけがあっても幸せだとは思えなくなってしまったのです。
ジャックは再び幸せを掴むため、この世界ではかつて別れてしまったケイトの元に向かいます。
この世界のケイトはジャックと同じく仕事では成功はしましたが、一人ぼっちでした。
ジャックはケイトに対し、「13年前僕は君を置いていってしまった。今後悔している。もう一度やり直したい」と言います。
ジャックのこの申し入れに対し、ケイトはこれを受け入れます。
ジャックとケイトはこの世界でも幸せになるために、再び共に歩き始めたのでした…
この映画から学べることは「お金持ちになるだけが幸せじゃない」ってことだと思います。
お金を稼いで欲しい物を手に入れる。これは確かに最初のうちは幸せを感じると思います。
しかし、欲しい物を手に入れた途端、さらに欲しい物が出てきます。その欲しい物を手に入れるためにさらにお金を稼ぐ。終りがありません。常に何かを追いかけ続けるのです。そしていずれどれだけ頑張っても手に入らない物が出てくるはずです。その時その人の幸せは終わってしまうのです。
僕はお金は必要ないとは言いません。生きていく上でお金は必ず必要です。しかしお金のために生きることは皆にはして欲しくないのです。
僕は教師になる前大企業に勤めていて、それなりに良い給料をもらっていました。しかし、その給料をもらうために一日の大半の時間やりたくもないことを我慢してやっていました。まさにお金のために生きて苦しい思いをしていました。
皆にはこんな思いをしてほしくないです。皆には本当の幸せに向かって歩いていってほしいです。
先ほど本当の幸せと言いましたが、幸せの形は人によって違うと思います。
「じゃあ幸せってなんだよ!」と言いたくなると思いますが、それを見つけるために日々考え続けなければいけません。思考停止してお金のために生きないでください。
僕も自分の幸せとは何か考え続けているところです。一緒に考えていきましょう。
以上